総州書房雑録

読んだ本の感想、考えたことを書いて行きます。

今でしょ!

○○さんがまだいた頃さぁ

 

実家に帰省した折に伯母との会話でふとその名前が出た時、私はその名前が誰のものかにわかに思い出せなかった。

一瞬の沈黙の後、私はその名前をなんとか記憶の棚から引き出すことには成功していた。

 


○○って親父の名前か(笑)

 

そう、○○は私の父親の名前だった。

父は私が10歳のころ蒸発した。

一人親方の職人だった彼は仕事に窮し、ある日トツゼン借金を残して消えた。

その後はまるでドラマのような体験をすることが出来た。

父の債権者からの電話、嫌がらせに家の目の前に停められた街宣車(旗とか日の丸とかでデコってあるイタ車みたいなやつ)

 

我が家が差し押さえになるに及んで私のテンションはMAX(実際興奮していた今考えると恥ずかしい)になった。

 

親ってのは子供を簡単に見捨てられるもんなんだな

 

子ども心にそう思った。

母は私と弟を育てるために必死に働いていた。

三交代の看護師だったので、祖母が僕らの食事や身の回りの世話をほぼ担当してくれた。(父性と母性を兼務しなくてはならなかった母を尊敬している。)

忘れられないことは、7つ下の弟が泣きながら保育園から帰ってきて

 

なんでうちにはお父さんがいないの?

 

と言った時のことだ。

同級生の母から聞かれたらしい、デリカシーのない人間はどこにでもいるんだな、と思った。

母や祖母には聞かずに私に聞いた弟の気遣いを悲しくも誇らしく感じたものだ。

 

何が言いたかったのかと言うと。

個人的に、そんな衝撃的な経験をしていたのにも関わらず。(実際当時は絶望したし、反抗期と相まって母には随分と酷いことを言ったりしたものだ。)

今現在の私はそんなことすっかり忘れてしまっていたことだった。

 

不幸自慢をしたいわけではなく、実際私の不幸なんて不幸界隈(そんなものがあるのか知らないけど)では鼻くそみたいなものなんだろう。

 

また、話しがそれてしまった。

要は今が全てではないよ、と自他に伝えたくなったのだ。

 

嬉しい今も、悲しい今も

良くも悪くも風化していく。

 

諸行無常とはよく言ったものだ。

成功していたら今に惑溺したくもないし、上手くいかなくて今に絶望することもちょっとナンセンスなのかもしれない。(実際その時々に冷静でいるのは難しいけれど)

 

今だってアウターのシミが落ちなくて少し悲しいけれど(トマトスパゲティなんて食べなきゃ良かった)

このアウターだって、二十年は着られないんだろう。

 

ーミツバチが花の色と香りを

そこなうことなく

蜜だけとって飛び去るようにー

 

というような言葉が法句経というお経に出てた、気がする。(出てなかったらごめんなさい)

花の色や香りを欲しがったら、もう人はその花を手折るしか無くなる。

それは今にこだわることだ。

蜜だけ楽しんで、そっと立ち去れるように。

 

そんな風に肩に力を入れずに生きていければと思った。