総州書房雑録

読んだ本の感想、考えたことを書いて行きます。

んさきたるーえぴ

新年早々、痛風になった。

 

痛い痛いとは聞いていたし、自分もお肉は好きだわ、お酒は好きだわだったので注意(にしたって痛風さんて方、いらっしゃいますよねぇ奥さま、程度だったけど。)はしていたが。

 

聞くとなるとでは大違いだった。

 

スサマジクイタイ。

 

なった直後の数日間はろくに寝られなかった。

風が吹くと痛いなんてものじゃなく、シーツが当たるだけで叫びそうになった。ちょっと泣いた。(母には内緒にしてください。)

立てない、もちろん歩けない。

右足は腫れてパンパンになり、まるでクリームパンのようだった。(表現自体は誇張でなく的確だと自負してるが、あまり美味しそうでもなかったし、自分の状況はまずかった。)

 

這ってトイレに行き、這ってお風呂に入った。

膝って大事だな、と心から膝に感謝した。(膝くん、君って、漆に似てるね…)誰も介助者も居ないのに、Amazonで尿瓶を検索してたあたり、相当精神的にも参っていたんだろう。

それでも最初の数週間は原因不明の激痛に犯された青年のフリをしていた。(29歳は青年に入るだろうか?)

 

フリというのは、自分の今までの行状を鑑みれば、なんとなく痛風なんだろうな、とは考えていたけど結論を出されるのが怖く。

痛みが去ってくれるのを待っていた、ということだ。

 

とは言え、クリームパンの痛みは耐えがたく(周りにも、それこそ多大な迷惑をかけていた、三浦半島で車椅子を押してくれたN君ありがとう。)現代医学のお世話になることを決めた。

 

そして、結果は冒頭のごとくだった。

 

私はお酒が好きだった。

二十歳を迎えてから、この九年間というものそれこそ何度浴びるほど飲んだことだろう。

 

記憶を無くし、荷物も無くし、電車は乗り過ごし(幕張から山梨までが最長だと記憶している。)、朝起きたらワイシャツがピンク色になっていたり、Gパンが裂けていたり、友人の弟と路上で接吻している写真がフォルダにあったりと散々だった。

 

そして、結果は冒頭のごとくだったわけだ。

なんでそんなに飲んでいたのだろうと、ツラツラ考えていたが。

単純に人生から逃げていたんだろうと思い至った。

 

周りからは明るい陽気な人だと思われていたが、小心者のあるある(私特有の強迫観念なのか?)で人付き合いの恐怖から、明るいキャラクターを演じていた部分が多分にあった。

 

酒で憂さを晴らしていたのだ。

身体を壊すかもしれない、なんてことは分かってはいたけれど、それよりも日々のしかかってくる平凡、自分が生きる日常の方が自分には怖くて怖くて仕方がなかった。

 

痛風と診断されて最初に思ったことは

 

あれもしかして、これでお酒飲まなくてもよくなるのか?

 

という一種の安堵のような不思議な気持ちだった。

心から飲むのを楽しめていなかったあたり、私はきっと依存症の入り口から三合目くらいまでは登り切っていたんだろう。(頼まれもせずに、勝手に登るのだから周りもいい迷惑だ。)

 

個人的に好きだった俳優さんが、今回薬物使用で逮捕されてしまった。

もちろん、彼にはこれから社会的制裁が(時には行き過ぎた程の)待っているし、賠償金というのも莫大な金額になってしまうんだろう。

それでも、ニュースの一報に触れた衝撃が去った後で考えたことは

 

きっとどこかで安心してるんじゃないかな

 

ということだった。

自分だって、やってはならないことだというのは分かっているけれど、やめられない。

 

社会的名声と評価が高まるにつれて孤独になっていく。(周りに人が沢山いるからってそれが孤独じゃないってことにはならない、その辺りはクイーンのフレディに聞くといい。)

もちろん、薬物に手を出していい理由にはならないけれど。

 

私は今、人生史上最高に野菜を摂取している。(はらぺこあおむし、家畜、うさぎ…みんなからの評価は様々だけどどれもウイットが効いてて流石だなと感心する。)

自分に嘘をついて無茶をした、しわ寄せはいつか必ずやって来る。

 

私にも来たし、彼にも来た。

 

これを読んでる誰かにも来るんだろう。(もちろんあなたのことじゃありませんよ?)

 

因果応報なんて、言葉を考えた仏教徒は本当に偉い。

私のつぐないの旅は始まったばかりだ。(薬のおかげですっかり歩けるから、旅には支障はない。)

 

彼が依存と向き合って、罪を贖い少しでも早くみんなの前に戻って来てくれることを願っている。