総州書房雑録

読んだ本の感想、考えたことを書いて行きます。

峠(下)概要編

深川の藩邸から西洋商人スネルの船で江戸から脱出する継之助。

船内で後の日露戦争の英雄となる桑名藩士・立見尚文と談笑する継之助。

話しは「立場論」を中心に進んだ。

船は仙台で会津藩士を降ろし、函館で米を売り払い越後に帰り着く。

 

継之助が洋上にあるころすでに北陸には官軍が迫って来ていた。

越後の大方の諸藩は官軍に従い軍兵を差し出したという。

継之助は新潟で銅を売り軍資金を増やした。

 

長岡藩の上下が藩の運営方針を見つけられない中、満を持して継之助は長岡藩の家老上席になる。

 

戦雲が迫る中、継之助は

一藩武装中立の上での戦争終結を心中で掲げていた。

しかし事が微妙であるだけに表にはできず、曖昧さを指摘する自身の反対勢力との軋轢とも戦うことになってしまう。

 

いよいよ、戦雲が長岡を包む。

藩境まで迫った官軍に対して、継之助は小千谷にて「武装中立」の意向を伝えるが、折からの戦闘で気の荒くなった官軍代表がそれをはねのけた。

 

いよいよ、北越戦争の幕が切って落とされてしまったのである。

 

当初は優位に戦闘を進めた長岡藩であったが、

西部にて官軍の一大奇襲に遭い長岡城を陥落させられてしまう。

 

継之助自身も、ガトリング砲を操作しつつ撤退戦を戦っていた。

 

一旦は藩の山地にまで引き下がった継之助であったが、藩主父子を会津へ逃した後に徐々に戦線を押し上げ各地で官軍を破っていく。

 

しかし、皮肉にもこの戦闘で無辜の民草は多くの血を流すことになってしまった。

幼少から長岡の補国の臣を目指した継之助の目にはこの景色がどう映ったであろか。

 

さらに数度の戦闘を経て、長岡城付近の沼沢地からの奇襲によって長岡城の奪還に成功する。

これによって、官軍の抵抗は激化。

長岡城奪取を目論む官軍との戦闘中に継之助は左足の脛を縦断で砕かれ重傷を負う。

 

継之助が倒れたことによって長岡軍は瓦解。

長岡城も再度官軍の手に落ちた。

 

もはや長岡藩内での戦闘は不可能と見た彼らは、継之助を担架に乗せて会津へ落ち延びようとしていた。

その道中、八十里坂という峠の途中で彼は死んだ。

 

その死は、後に自分を荼毘にふすための薪と棺の

準備をする従僕を眺めながらという壮絶なものであった。

 

若くして幾度なく踏み越えた峠を、最後に彼は越えられなかった。