総州書房雑録

読んだ本の感想、考えたことを書いて行きます。

”勇気”の心理学

大変、遅ればせながら…

数年前から評判になっている、アドラー心理学「嫌われる勇気」を読んでいる。

 

まだ途中ではあるのだけれど、とてもタメになったので、

そこだけ取り急ぎ、備忘のために書き残しておきたい。

 

アドラーは、ユングフロイトと並ぶ心理学の「三大巨頭」の一人だと言われているそうだ。

 

ユングフロイトが日本でも知名度が高く、翻ってアドラーが昨今まで、

埋もれていた原因は、二点。

①難解さ

②厳しさ

によると思う。

 

ユングフロイトは個人の現状には、全て過去に根っこがあるとする「原因論」であり、この主張はとかく非常に分かりやすい。

原因→結果

という、いわゆる因果律が説かれているから理解には事欠かない。

ではアドラー心理学はどうかというと、人は今の自分の目的を果たすために現状を選びとっているのだという「目的論」の立場を明確にしている。

 

アドラーはトラウマの存在を否定するのである。

 

例えば、引きこもりの青年がいるとして…

原因論の立場に立てば、彼は幼少期にいじめに遭い、それに由って

外出して他者と触れ合うことを恐れているのだ、と分析するかもしれない。

 

しかし、アドラーの主張する目的論に立つと、彼は現状の

状態を維持するという目的のためにそうしている。と言うのである。

 

本人がどんなに「私は本当は外出したい、でも外に出るのが怖いのです」と叫んでも、

アドラーには通じない。

 

『彼は引きこもりたいから、引きこもっているのである』と、分析するだろう。

実に厳しい考え方である。

 

では、その状態から脱するには何が必要なのか?

そこには幸せになる勇気があれさえすればいい。

 人はすべからく、その人が自ら設定した主観的な「世界観」のフィルターを通して世界を捉えている。

 

たとえば、同じように幼少期に両親が離婚した、という経験をした二人の人間が居たとして、

A私はその経験があったから、努力して勉学に励み今の地位がある。

B私はその経験があったから、何も上手くゆかず鳴かず飛ばずだった。

 

このように、AとB二種類の人生観をそれぞれ持つことも往々にしてある。

つまり、客観的な事実をどう自分の人生の意味付けに使うかでしかない。

 

自分が努力のできない人間であると認めたくない人間は、きっと後者の意味付けをするだろう。

 

逆に言えば、自分がこうなりたいと固く決心できさえすれば、この世界はいかようにも意味づけができるし、

今、この瞬間から望む姿になることさえ可能かもしれない。

 

変わりたいという"勇気"さえ、あれば。

 

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