峠 中巻 【概要編】
峠(中)司馬遼太郎
故郷に帰った継之助は役人として新しく領地になった村の内紛を見事に収拾して出世を遂げる。
郡奉行と町奉行という藩行政の全ての頂点に座った彼は藩の改革に着手する。
・賄賂の禁止
・汚職役人の免職
・寄せ場と呼ばれる「更生施設」
・賭博の禁止
・遊郭の営業停止
・蓄妾の禁止
諸改革は全て長岡藩の「富国強兵」であり、それは来るべき独立のための準備だった。
それらはまず噂を流す形で周囲に覚悟を持たせてから断行するという方法をとった。
また、実施に際しては継之助は陣頭に立ち手を砕いて自ら改革を行っていった。
諸改革の実施の中で慶応二年を迎える。
・第二次長州征伐
・将軍家茂の死去
・慶喜の将軍就任
・孝明天皇急死
というまさに激動の一年である。
継之助は町奉行・郡奉行を自ら退任して江戸に行き、藩の宝物を売りさばき現金化したうえで横浜の外国人から洋式火器を調達した。
スイス人ファブルランドの家に下宿しながら、謎の商人スネルとも知己になる。
長岡に呼び戻された継之助は「年寄役」という準家老を任じられた。
スネルの差配する船舶が新潟に来着して「抜け荷」により大量の兵器が長岡に運び込まれる。
大政奉還が行われ、天下の政情はさらに混迷する。
石高制の廃止を検討している継之助は反対派の武士に堀に投げ込まれる経験をする。
京阪の事情を検分するために継之助は藩主に随行する形で60人の藩士と共に京都へ入る。
在京中に鳥羽伏見の戦いが勃発、幕府軍の弱きを痛感した継之助は江戸へ戻ることを決意する。
江戸に戻り、外国方の福地源一郎の引き合わせで福沢諭吉と知り合った河井は来る日本の新しい姿を垣間見るが同時に自身は長岡の宰相として終わることをいよいよ強く感じるのであった。
また、旗本の脆弱さを見て徳川の世の終わりをまざまざと思う。
さらには横浜にも行き、そこで西洋人の「擦れた」強さを感じる。
異民族割拠の歴史を経なかった日本の純粋さを想うのであった。
藩費捻出のために河井は金銀相場や米相場を利用しようとする。
経済が分かってこそ一国を率いることができると河井は思う。
国元でも江戸でも洋式訓練を藩士に課して河井は来るべき天下の騒乱に備えていた。
京都では「官軍」が組織されて東進を続けている。
会津藩の肝いりで行われた東国諸藩の結集会議にも参加するがそこで諸藩の日和見主義をまざまざと見た河井は改めて長岡藩のみの独立国家建設を目論むことになった。
(会津藩の苦しい現在と惨憺たる未来は暗示される。)
牧野家の分家の藩指導者者たちと別離の宴席を設けた河井は、各指導者に「官軍につけ」と助言を送る。
江戸は消費者である武士を失い、経済的に困窮し始めていた。
各藩で蔵米を放出したため米価も下落していた。
旗本や諸藩の屋敷は引き払われた中、100人以上の武士を江戸に駐在させているのは長岡藩のみになった。
江戸に続く街道に官軍が満ちる。人々は河井と長岡侍達が無事に国元へ帰れるか心配するのだが河井は思う所ある様子である。
久方ぶりに吉原に行くとなじみの遊女が病気であることを知り、河井はそのまま吉原を去った。
もはや江戸に来ることはない、と語るかのごとく。