総州書房雑録

読んだ本の感想、考えたことを書いて行きます。

或る うたびとに よせて

新進気鋭の若手歌人(ということにしておきます)深水きいろさん。

彼女の生誕祭が先日行われ、そのアンサーソング(なんじゃそら)として、ふたつのネプリが彼女より配信されました。(【ねごと短歌】と【境界】)

今日は、このふたつの珠玉の歌の集まりから、私が好きなやつ(そらもう恣意的に)を選んで感想にもならない駄文を書き散らします。

 


第一部

【ねごと短歌】より

『今日』と『明日』のあわいに、そっと自分の心を振り返ってみる。今日の残響と明日への期待と不安を見つめて彼女は優しい歌をひとつ、こぼす。

 

 

 

・むりょくだと思いながらも動けずにきょうもおんなじふくを着ている

 


無力、をひらがなにする(単に眠たかったからかな?)のが虚脱感を表してて胸がぎゅっとする。今日も自分で選んだかどうか分からないお仕着せの服に袖を通して満員電車に揺られる。拗ねたくもなる。

 


・ぽかぽかとじっとりとの間のお天気に、纏われ泣いた、しんとねむるよ

 


季節、は何も語らない受け止めるのはいつも私自身。季節の変わり目は人に色々なもの想いの時をくれる。優しさに包まれて泣きはらした一日の終わりにわずかばかりの静寂がひとつ『しんと』。

 


・たくさんね、お話ししたからたくさんね、生きるを考えながらねむるね

 


自分の中にいる小さな小さな少女に語りかけるような歌だ。いろんなものを受け止めて、それを寝る前に愛しげに手のひらに広げるように見つめる歌。宝箱のような歌だ。

 


・黒いのがもうすぐそこに居るけれどきっとへいきよしあわせだもの

 


これは確実に眠くて仕方ない時に作った歌だ。(ひらがな多い)それだけに黒いの、が持つ寓意は雄弁じゃないだろうか。漠然とした不安?押し寄せる明日?自他の心の読めぬこと?…さまざまな邪気を、『しあわせ』という護符で封じ込める、闘いの歌。

 


・ありがとう、ありがとうって念じたよ、そしたらできた、今日の歌だよ

 


大体にして、彼女のほとんどの歌は感謝に貫かれている。日常のふとした横顔にも感謝のしっぽを捕まえられる鋭敏な心を持っているのだろう。ちょっと神がかりの巫女をも思わせる、特に好きな歌。

 


・死は好きだ、生のおわりの概念のある世界だから生きられるのだ

 


前の歌とこの歌を並べたのは、このふたつがすごく象徴的な意味を持つと感じたからだ。

感謝は『謙虚』さと分かちがたい。終わりを知っている、終わりから目を逸らさない。死という絶対の約束が結ばれているからこそ、日々は美しく、今日息を切らすほどに走ることが出来る。

 


すずらんをひとつずつ捥ぐ鈴の音はいつまで待っても聴こえてこない

 


夜更けに心の花園のすずらんを捥ぐ時の気持ちってどんなだろうか。鈴の音は救い?それとも福音?赦しの声だろうか。せめて眠りに落ちる刹那に鈴の音がなりますように。

 


・明日の目に何かが映るのだとしたらやわな刀の一振りがいい

 


何もかもが穏やかでありつつも寂寞があって、虚しい夜がある。どうせなら明日やはらかな一振りであんなことやこんなことを葬ってはくれないか、と。静かな諦念を感じる。

 


・のびをする、わたしの声に心根に、天の高さはまだまだと笑む

 


優しくて大きな『天』の眼差しを見ることが出来る、ねごと短歌屈指の歌だ。軽やかなリズムの中に、弾む喜びとともに、背筋を伸ばさしてくれるような天の眼差しが降り注ぐ、『まだまだ』なのだ、でも、必ずいつか『そこに』行けるように。

 

 

 

・尊さとやわさと奥の悲しみを願う心はどれもほんもの

 


全てが縒れて、全てが集まって、崇高なものも、猥雑なものも、あらゆるものが夜の浜辺に打ち寄せられて、それを持て余しながら、やっぱり手を合わさずにはいられない。明日の自分が、ニセモノ、でいないために。

 


第一部了

 


第二部

【境界】より

境界、はざま。私とあなた、私と世界、自他を分けるあらゆるモノゴト。

世界への強烈な観察の眼差しは内面の深掘りをもたらし、沸き立つ言葉の叫び。

軽やかなリズムと、時として印象的な単語が織りなす彼女の歌は、一編の小説や一枚の絵画をイメージさせる。

 


・にんげんを営んでいるメモ帳に足は片方ずつ出すとある

 


周囲の人間が、生身の人間なのか日々をひたすら記録して何かに動かされるロボットなのか分からなくなる時がある。言われたとおりに足を片方ずつ出せば、確実に歩ける、面白い人生かは、分からない。

 


・新緑のあんなに緑で叫んでていのちがすぐに尽きちゃいそうだ

 


初夏の新緑には、命の叫びが溢れている。降り注ぐ陽光を伴奏に、萌えゆく命は緑色の声のない合唱を続ける。まぶしげに目を細める姿が眼に浮かぶ、声なき声に耳を傾ける生命への深い賛歌。

 


・伝いゆくあいだはぼくで太ももに落ちたならぼく  一瞬、泪

 


泪には色々なものが含まれている、過去現在未来、喜び悲しみ怒り、つまりその人の全て。その泪を離したくない、これが私なんだという叫び、それでも泪は溢れて、自分を離れてただの水滴になる哀しみ。

 


・団栗が転がりかえる午後三時  けらけらころころひとりたったっ

 


優しい歌だ。すごく。団栗は午後三時にどこかに帰るのだ、後半の怒涛のオノマトペがこの歌を完全なものにしている。解放と喜び、無垢なる楽しげの詰め合わせ。午後の日盛りにサンルームでそっと開く絵本のような歌。

 


・ぼくもまた渚と思えばデスクにもシーグラスなど遺してみよう

 


自分の痕跡を残したい、そんな心を持たない人はそんなに居ない。渚はあらゆるものが打ち寄せる場所、どうにもならない日々が打ち寄せて渚は汚れるのかもしれない。

それでも、ガリガリのガラス片じゃなくて優しくてまぁるいシーグラスを遺して逝きたい人。胸が締め付けられる。

 


・庭先のポプラの姉妹がざわめいて誰かのいのちの終わりの報せ

 


絵画的な歌だ。ポプラは孤独で峻険な樹にも見える、それがふたつ、きっと付かず離れず立っていて、不穏な風を含んでさざめいているのだろう。良い風ばかりが吹くわけではない、わるい報せをまるで魔女の嘲笑のようにポプラの姉妹は奏でている。

 


・あい、う、えお  出るし聞こえるだのになぜ昨日沈んだ月がまだいる

 


悪夢の後だろうか、いや、ずっと悲しい夢の中に居たのだろうか。声は出る、少しずつ、確かめる。でも、目の前から、嘲笑の口のように上弦の月が消えない。大丈夫、月はもう去ったんだ。

 


・迎合と順応性は近似値で森にお箸を植えてみている

 


【境界】で一番好きな歌。

自然と不自然。自分と世界のはざまからガタピシとした不協和音が聞こえるような歌だ。順応性と迎合の違いを説明できる人がいったいどれくらいいるだろう。不自然な迎合を繰り返して、へつらいを続けるわたしは、もうあの自然の象徴である森に戻れないのか、木を植える代わりに育つことの無い『自然だった』箸を植える。

ささやかな抵抗のメタファー。

 


・加湿器はごぼりと鳴いた魂の抜けゆくときは痛むだろうか

 


物思いにふける時に、加湿器がごぼりと鳴く、そこで思考が途切れる。あの音には何か色んなことを飲み込まされているような悲痛な響きがあるように思える時がある。この荒んだ魂でさえ、身体を離れる時に、ごぼりと悲痛な音を立てるのだろうか。それは解放?

 


・右側と左側から音が刺すしぶしぶ耳をポッケにしまう

 


五感は外界と自分を繋ぐ入り口。特に耳は生命の原初から発達を繰り返した崇高なる器官。だからこそ、自分の意思とは関係なく、『音』は侵入を繰り返す。こんな耳無かったら、でなくても自由にポッケにしまえればどんなに楽か。

 


・ぼくの住む世界に神はいないけどどこかにいるなら声を聴かせて

・もし神がいたとしてそれはぼくじゃない  ぼくじゃないならやっぱりいない

 


この歌は、連作の最初と最後から二番目に置かれた歌だ。『自分』の世界に神はいない。

でもどこかに密やかに神がいるんじゃないか?といぶかしむ、そこから出発して長いこと境界を旅して、作者は外の世界の借り物の神を否定したんだろうか。救いは自分の中にしか無いんだと、気づけたのだろうか。

旅は求めるものを見つけられる時ばかりじゃない。大いなる否定や『見つけられなかった』ことこそに意味がある時がある。

だからこのふたつは破壊と再生の尊い歌だ。

 


・幸せを幸せと云うしあわせとくちをたっぷり混ぜあわせつつ

 


鼓舞の歌に思えた。幸せを人は忘れがちだ。青い鳥じゃないけれど、幸福や美は本当にそばにある、どこにもない。ここじゃないどこかにない。

ささやかな日常を抱きしめる、ゆっくりと抱きしめる、そう在れるように。

そのたびに唱える『しあわせ』は明日自分らしくあるための力強いマントラなのだ。

 


第二部了

 


【追伸】

・ヨーグルト、パクチー、クミン、ココナッツミルク、ハバネロ、青唐辛子

・塩、トマト、タマネギ、シメジ、ナンプラー、鶏モモ、ピーマン、ジャスミン

 


はい、これは完全にカレーのレシピ。

いつかこのレシピで作ったカレーを御馳走してくださいね。

 


追伸  了

 


ここまで、読んでくれた皆様。

本当にありがとうございました。わたしの駄文に付き合わせてしまってごめなさい。

そして、きいろさん。

これからも素晴らしい歌を、自分の心のままに詠んでくださるように願ってます。

 


全ての短歌愛好者に、感謝を。