総州書房雑録

読んだ本の感想、考えたことを書いて行きます。

こんにちは、和歌ちゃん

 

和歌はカッコいいのだ。

 

和歌(に限らず自分の趣味のアウトプットには人それぞれ信念があるはずだけど)は私にとって、カッコいいものである。

伝わらないとは思うが、深田恭子さんやセーラームーンというよりかは、魔人ブウに捨て身で立ち向かう時のベジータであったり、ビジョンを助けに駅に現れたキャプテンアメリカなのだ。(自分にも伝わらなかったけど、このまま行きます)

 

だからこそ日々納得のいかない(つまりカッコ悪い)歌しか読めない自分が嫌ではあるが、

そんな時でも自分の中の本田圭佑に励まされながら毎日ぽつりぽつり詠んでいる。(彼はいつでも僕に伸びしろを指し示してくれる)

 

和歌をカッコいいと思う理由は、私と和歌の出会いに源泉がある。(大した話しではない、恥の源泉かけ流しである)

私が本格的に、この世に和歌というものが存在することを認知したのは(ワカゴコロと名づけよう)中学生の時、新渡戸稲造Bushido: The Soul of Japanを読んだ時にさかのぼる。(原著ではない、英語がからきし出来ないのでがっつり和訳で読みました、ごめんなさい新渡戸先生)

その中で、ある武将同士がイクサの最中に歌を詠みあったという記述があり、それがリアル中二病発症中だった(ちなみにまだ治ってはいない)私の心に深く深く突き刺さった。

 

以下はその戦場でのやりとりの再現であるがほぼ意訳なので、古文の先生などは呼ばないでくださいお願いします。

 

《遠い昔。わりと近い銀河系で》

立て籠もる館(衣川の館)の守備が崩壊し、今まさに落ち行くオトコに攻め手の武将が弓を引きしぼりながら叫ぶ。

「てんめー!負けといて逃げるんじゃねぇー!こっち向け!言いたいことがあるんじゃー!」

呼びかけられたオトコは馬の手綱を引き締めて、自分を弓で狙う武士に向き合った。

武士はオトコに自信に満ち溢れて語りかける。

「衣のたては ほころびにけり!」(衣川の館は陥落したぞ!※衣とほころぶが掛かってます。)

オトコは屈辱で激怒し何か負け犬の遠吠えでもするのかと思えば、馬の手綱をゆるめ微笑さえ浮かべながらこう語り返した。

「年を経し 糸の乱れの苦しさに」(何年も耐え忍んだが、統率も乱れがちで苦戦しちまったなぁ。※衣にあわせて、連想される糸が詠み込まれております。)

こう言われた武士は引き絞った弓をゆるめ、この貫禄あるオトコに感激して見逃したのであった。

ここに一首の和歌が誕生した。

 

『年を経し 糸の乱れの苦しさに 衣のたては ほころびにけり』(ババーーーーーン!!)

 

正岡子規さんなどはこの手の歌は好きくない、とバッサリやるのだろうけれど私にはどストライクだった。

もはや実際にそれが詠まれていなくったっていい、大切なことは今まさに命のやり取りをしている人間同士のこの典雅な応酬の見事さと、本来殺伐とした稼業につく武士という人びとの根本に美しい心ばえを垣間見た気がしたのである。(インスタ映えなんて目じゃない)

 

その日から和歌詠む人、というより和歌詠む武士は私のヒーローになった。(シンガーソングライダーの登場であった)

 

いつか、私の好きなシンガーソングライダーについてもブログを書けたらいいなぁと思っている。(自分自身しか喜ばないんだろうな…)