総州書房雑録

読んだ本の感想、考えたことを書いて行きます。

ふじさん

これから、本当にお前ってツマらない奴だなぁ、

というブログを書こうと思う。(そもそもバレてるだろうから構いはすまい)

 

大学生のころ(こんな私にもゼミ合宿で酔い潰れたり、キャンパスのベンチで酔ってたりした真面目な学生の時代があった)

富士山に登った。

 

富士山を知ってる方がどれくらい居るか知らないけれど、ひとまず日本で一番高い山だそうだ。(知ってた?)

そんな富士山に登ったわけだけれど、今と変わらずビビリだった私は一緒に登る友人と事前の練習としていくつか低山登山で身体をならした。(ホントのところ登り終わった後のお風呂とビールが楽しみだったのだ)

 

千葉の鋸山、茨城の筑波山、多摩の高尾山…。

こんなものだったろうか。

いずれも今振り返ればハイキングのレベルだった。

 

そしていざ、富士登山にチャレンジしたわけだけれど。

たしかにシンドかった。

御来光を見るために、夜20時くらいから登り始める。(登山は五合目からだ)

 

はじめはまばらだった人の群れもどんどん密度を高めていく。

頂上付近にもなれば、もはやそれは渋滞と言ってしまっても良い程だった。

 

途中でよせば良いのに友人と二人で一個800円くらいするカップラーメンを食べたせいでか知らないが。(富士山の五合目からの世界は物資が枯渇していて金額設定が北斗の拳のそれに等しい、ちなみにトイレも有料だ)

大事な相棒でもある友人ががっつり高山病の症状を示し、私の分の酸素缶も全部吸い尽くされた時は極限状態で仲間割れが起こる気持ちも分からなくないなぁ、と思ったがひとまず無事に?山頂まではたどり着けた。(彼とは今でも良い友人だ)

 

山頂付近の寒さを度外視していたせいでアウターの装備が足らずガチガチ歯を鳴らしてしまったけれど、御来光までしっかり見ることも出来たのだ。

 


……いまだ眠りを貪る人界ははるかに雲の下に沈みこみ

そんな雲海を東の彼方から

朱色に染めながら太陽が少しずつ顔を出す

山頂にたむろする全ての人びとが一心に命の象徴である光を見つめている……。

 

人生観が変わるんじゃないか?

などとどこかで期待して登った私は、バッキバキに疲れた身体を引きずるようにして下山して(途中落石で怪我しそうになったことは鮮明に覚えている)どこか名も知れぬスーパー銭湯で汗を流し、家に帰ってぐっすり寝た、

 

だけだった。

 

そんなもんだろう。

世の中には、ある条件が叶えば、人生のレベルがアップする、っぽいパッケージが溢れている。

 

胸を焦がす恋愛、はちゃめちゃな学校生活、自分探しの旅、アツイ部活動…

そういったステレオタイプの押し付けの中で、そこから溢れた人は不幸せなんだろうか?人生のレベルは上がらないまま?

 

冗談じゃない。

人生はロールプレイングゲームなんかではない。

今日を生き延びた人はそれだけで尊い

 

私なんかが行けもしない国の南の島で眺める夕焼けが世界の真理なら

さっき食べた割引値段の惣菜のコロッケだって世界の真理のはずだ。

 

雲を突くようなバオバブの木が生命の輝きだというなら

足元で朝露に濡れるオオバコだって生命の輝きだろう。

 

ここではないどこかに

手にしてはいない何かに

私ではない誰かに

 

マボロシに憧れるがあまり、今をおろそかにしている時が自分には多い気がする。

 

マボロシに負けない自分で在りたい。

 

要は、明日も私はのっそりと生きるのだ。