総州書房雑録

読んだ本の感想、考えたことを書いて行きます。

チョンマゲとトーガ

源平の頃より江戸時代になって、

宋学(いわゆる朱子学)の概念が

根付くまで、日本の武士階級には厳然とした『主従関係』という上下関係は無かった。(主従の人間的美談ならあるが、一つの統一された行動様式としては、わずかに織田信長とその家臣団があったくらいだろう。)


武士階級を貫いていた原則は、『相互扶助』であった。

 

主君は家臣の土地を守り認め、家督相続のあれこれを裁く

その代わりに家臣は主君に対して種々の義務を負う。

相互扶助であった証として、主君が頼るに足りないと分かれば家臣たちは簡単に裏切ることもあった。(家臣主導の主君の交代もざらにあった。)

裏切り、に江戸以降のような思想的な罪悪感が付託していなかった。(土臭い信用問題はもちろんあったろうが。)

 

話しは少し変わるが

古代ローマにも、クリエンテスとパトロヌス(保護者と被保護者)という相互扶助の関係が存在していた。

クリエンテスはパトロヌスに様々な便宜を受ける代わりに軍事や選挙での投票など、献身的に協力する義務があった。
法の国家として有名なローマにあっても上記のような相互扶助の概念が強く根付いていたのは意外である。

(上記の関係はのちに、パトロンとクライアントの語源になる。)

 

思えば、武士階級に存在した相互扶助も、古代ローマに存在した相互扶助も個人間と言うよりは、家族 対 家族という側面が濃厚である。

一族の利益を守るor拡大するために時に滅私的とも思える相互扶助が発生するわけであり『家』的概念が希薄になった現代において、相互扶助などと言うことは何やら片腹痛い気もする。

 

法と経済の発達は人間をして『家』的共同体からの解放を実現した。

それ以前は、法の代わりに一族がそのメンバーの人命を護る義務を果たした。

経済的にも市場が未発達なのだから自分が食べるものは自分たちで生み出さねばならず、それには共同体をフルに活用した産業が不可欠であった。(農業にせよ、牧畜にせよ独りでやっていくには限界がある。)

それら上記の諸問題が解決された現代において、相互扶助はさらに大きい枠組みに変質していった。

人命を護る法も、生業を探し日々の糧を得る市場経済も、国家が保障してくれている。

その為に我々は『個人』として、憲法に謳われた種々の義務を『国家』に対して果たしているわけだが。

相手が国家であると大き過ぎて、何やら奇術めいていないでもない。

 

その、『相互扶助』というのは実にドライである。(国家という相手に人格が無いのだから当たり前だが。)

前述のように古代には、自分たちの利益の為に、相手との相互扶助が完成されていた。

翻ってかんがみるに、国家という存在は本当に我々の利益を守ってくれる存在たるのであろうか。