総州書房雑録

読んだ本の感想、考えたことを書いて行きます。

ぱっしょん

  思想家というものについて考えていた。

 

  彼らは、常に既存の概念や現実への挑戦者であり、夢想家、理想家と表裏一体のものであっただろう。

  翻って言えば、夢想家や理想家の側面を持たない『思想家』は単にモノが見え過ぎる毒舌家といった存在に過ぎず、思想家としてはあるいは落第なのかもしれない。

 

  何故、そんなことを考えたのかと言うと、孟子についてぼんやりと考えていたからだ。

  私は今でも性悪説論者である。

  孟子性善説論者であり、その孟子の学説は後代まで彼が属する儒教の本流となった。

  逆に同じ儒教に属していても孟子とは反対に性悪説を掲げた荀子の思想は長く不遇をかこつことになった。

  まだ少年であった頃の私はそれが気に入らなかった。

  世の中は、どう考えても性悪説に則って動いているのにその性悪説を掲げた荀子の学説は埋もれ、自分にとっては夢想ともとれる孟子性善説が本流になっているのかと、感情的に憤ることしきりだった。

 

  今でも敬慕する高校の恩師の影響もあり私はその頃も、また現在までも細々と中華の古典を読み続けてきた。

  しかし、心のどこかで孟子性善説への違和感をぬぐえずにいた。

  つい先日も子どもたちを公園で遊ばせながら、その事についてぼんやりと考えていた。

  その時ふと、私の中で長年のこの鬱屈が氷解したのである。

  子供たちが公園で遊ぶ、という当たり前の日常が、その実長い人類の歴史から見れば当たり前では無く、奇跡に近い事なのだと思い至ったからだった。

  私は孟子の生きた時代について考えることを(誠に恥ずかしいことながら)すっかり失念してしまっていた。

  孟子が生きた時代は戦国時代の真っ只中である。

  各地に割拠した諸侯同士が争い、その諸侯の領国内においても血で血を洗う内紛を絶えず抱えていた。

  孟子はそんな時代を生き、それでもなお性善説を掲げた。

  そこにこそ孟子性善説が淘汰されず生き残り、あまつさえ後続の儒家たちによって思想的厚みを加えられ今日に至る理由があったのだと気づいた。

  孟子は子が親を殺し、隣人同士が奪い合う世界にあって敢然と人間の本質は善であると言い切り、故に個人はさらにその善なるを磨き、仁義に則った王道政治を実現することこそ人間の世界のあるべき姿である、と宣言した。

  偉大なる理想を掲げたが故に、彼の思想は命脈を保った。

  彼は一級の思想家となったわけで、俗っぽい言い方をすれば、アツイ男だった。

  つらく厳しい現実を突きつけられ疲弊し、世を儚んだ当時の知識層にとってそれはひとすじの希望だったことだろう。

  理想は肉体的には全く何の救いにもならないが、それを貫く魂の救いになることがある。

  現実に即した正論ばかりの世の中では人は食傷をおこす。

  正気で理想に狂いたくなる時が必ずある。

  孟子のアツイ思想が現実が厳しければ厳しい程輝きを増す所以だろう。

 

  子供たちの無邪気な笑い声を聞きながら、親である私はこの子たちの可能性を信じないわけにはいかず。

  信じようと思えばこそ、私も性善説を掲げた孟子の着物の裾のはじっこくらいは握りたいと思うくらいには性善説論者に憧れるようになっていた。